CDショップの「ヒーリング」や「リラクゼーション」のコーナーに行くと、必ずと言っていいほど「1/fゆらぎ」という言葉を目にします。昔から自然界に存在するものは1/fゆらぎを持っているということが研究者の間では知られていますが、一般の人には漠然としたイメージしかないのではないでしょうか? そのため「このCDは1/fゆらぎを持っています」と言われても、「ふーん、何となく体に良さそうだな」くらいにしか思わないのが普通でしょう。音楽における1/fゆらぎとはいったい何なのか?、どうやって測定するのか?、疑問に思ったことはないですか? そこで、この何となくありがたそうな「1/fゆらぎ」という言葉について、その本質を探ってみようと思い立ったのがこの研究の発端です。
ゆらぎとは?
寄せては返す海の波の音。この一見規則的なリズムもしばらく波打ち際に佇んでみると、その周期や強さは一定ではなく、微妙に変化していることに気付きます。また人間の心拍も精密に測定してみると微妙に間隔がばらついていることが知られています。このように自然界に存在するあらゆるものは完全に規則正しいということはなく、ある程度のばらつきが存在するのが普通です。
「ゆらぎ」とは物理学的にいうと、ある量が平均値を中心にして時間的または空間的に変動する現象として定義されています。人間の心拍の例でいうと、平均心拍が1分間に60回だったとして、それがある時は61回になったり、59回になったりするのがまさにゆらぎなわけです。一般にゆらぎが小さいほど規則的であり(予測可能)、ゆらぎが大きいほど不規則である(予測不可能)ということができます。
ゆらぎとスペクトル
では、ゆらぎの大きさを定量的に表すにはどのような尺度を用いればよいのでしょうか? 実は昔から物理の分野では周期的な現象を解析するには周波数領域に変換してから行うと本質的なものが見えてくるということが知られています。これは言い換えればスペクトルに分解するということです。もっとわかりやすい例でいえば、太陽の光をプリズムに当てると7色の光に分かれることが知られていますが、あれは白色の太陽光が波長の異なる光に分解されたために色が着いて見えるわけです。雨上がりに見られる虹もまったく同じ現象ですね。
このプリズムとまったく同じ働きをする数学的な手法にフーリエ変換というものがあります。数学的な説明は難しくなるのでここでは割愛しますが、要約すれば「あらゆる周期的な波は周波数の異なる正弦波の重ね合わせで表すことができる」ということです。この定理はフランスのフーリエという数学者によって証明され、現在では物理や工学のあらゆる分野で応用されています。
話をもう一度ゆらぎに戻すと、仮に海の波の周期や心拍数をデータ化できたとして、それをフーリエ変換によってスペクトルに分解すると何がわかるのでしょうか? 太陽光の場合は7色の光が均等に含まれているために全体として白色に見えるということがわかりました。それと同じように、測定されたデータをスペクトルに分解すると、異なる周期の波がどのくらいの割合で含まれているかを調べることができます。ゆらぎというのはある量が平均値を中心にして時間的に変動する現象を指しますが、ひと口にゆらぎといっても数十分の1秒といった短い周期のゆらぎから、数十秒といった長い周期のゆらぎまでさまざまなものが含まれています。データをスペクトルに分解することによって、どのくらいの周期のゆらぎがどのくらいの割合で含まれているかを知ることができるわけです。
ゆらぎの程度
では実際にデータをスペクトルに分解してみるとどのようになるかを説明しましょう。まず下の図のように、データが時間的に全く変化しない場合、つまり完全に規則的でゆらぎが全くない場合を考えましょう。具体的には時計の秒針のように規則正しいものを想像してもらうといいでしょう。
このようなデータをフーリエ変換してみると、そのスペクトルは直流成分、すなわち周波数がゼロのところだけ値を持ち、他はすべてゼロになります。ただしコンピュータで行う場合は有限の長さでしか計算できないために、実際には(b)のようにわずかながらスペクトルの漏れが発生します。これはフーリエ変換の特性によるものです。
スペクトルが一点に集中するということは、言い換えれば決まった周期のゆらぎだけが存在するということであり、容易に予測が可能であることを示しています。
次に下の図のように、まったく規則性のないデータを考えてみましょう。具体的にはサイコロを振ってみて出た目をプロットしたものを想像してもらうといいでしょう。
このようなデータをフーリエ変換すると、そのスペクトルは低い周波数から高い周波数までほぼ均一な強さで分布するようになります。このようなスペクトルは太陽光との連想から、白色雑音あるいはホワイトノイズと呼ばれています。
スペクトルが均一に分散するということは、言い換えればあらゆる周期のゆらぎをランダムに含んでいるということであり、予測が全く不可能であることを示しています。
以上の考察から、ゆらぎの程度を定量化するには、スペクトルの分布が集中しているか分散しているかを表現すればよいことがわかります。もっと単純にするためには、スペクトルの強さが周波数とともにどのくらいの割合で減少していくかを数値的に表せばよいということが何となく理解できるでしょう。
ゆらぎの定量化
ゆらぎの程度とスペクトルの関係がわかったところで、ゆらぎを定量化する方法に移りましょう。先ほどの例では、ゆらぎが全くない場合はスペクトルが特定の周波数だけに集中し、ゆらぎが不規則である場合はスペクトルがすべての周波数に渡って均等に分布することがわかりました。ではその中間はどうなるのかと言いますと、一般的には周波数が高くなるにつれて徐々に減少していくような曲線を描きます。周波数をf(frequency)、スペクトルの強さをP(Power)として、これを数式で表すと一般的には次のような関数になります。
P = 1/fλ
ここでλは指数であり、周波数とともに減衰する割合を表しています。もしλ=0であれば分母は常に1となり(0乗は必ず1です)、スペクトル分布は水平になります。λ=1であればスペクトルの強さがちょうど周波数に反比例することになります。さらにλの値が大きくなるほど周波数とともに急速に減衰するため、スペクトル分布は傾きの急な曲線になります。
実際は周波数もスペクトルの強さもかなり広い範囲におよぶため、こういうときは対数をとって表示するのが便利です。そこで両辺の対数をとると、
log P = -λlog f
となり、log fを横軸、log Pを縦軸にとると、そのグラフは下の図のように傾きを-λとする直線となります。
これをもう一度先ほどの例に当てはめると、ゆらぎが不規則な場合はλ=0の場合に相当し、スペクトル分布は水平になります。一方ゆらぎが全くない場合は理想的には垂直な直線(λが無限大)になりますが、先述の理由により実際にはだいたいλ=2くらいの傾きを持った直線になります。したがって、λの値が0に近いほど不規則なゆらぎを持っており、λの値が大きいほど規則的であるということがいえます。
1/fゆらぎの意味
ここまで来ると「1/fゆらぎ」の意味がかなりはっきりと見えてきたのではないでしょうか。つまりλ=0とλ=2がそれぞれ完全に不規則な状態と完全に規則的な状態の両極端に対応するとすれば、その中間のλ=1は「適度に不規則な」ゆらぎを持った状態ということができるのです。言い換えれば「規則性と意外性のバランスがとれた状態」ということもできます。それこそが自然の本質であり、人間が心地良く感じる要因の一つなのかもしれません。
ここで本題の音楽のゆらぎに立ち戻って考えてみます。音楽のゆらぎをどうやって測定するのかという方法論は次章以降で展開するとして、ここでは本質だけをかいつまんで説明します。たとえば同じ音を連続で鳴らしているだけの音楽があったとします(もはや音楽とは呼べませんが)。それは規則的すぎてあまりにつまらない音楽でしょう。これがλ=2の場合に相当します。逆にピアノの鍵盤をまったくでたらめに叩いた音楽があったとします(これも音楽とは呼べませんが)。そんな音楽を聴かされたらおそらく人は落ち着かなくて不快になるでしょう。これがλ=0の場合に相当します。そしてその中間のλ=1こそが、適度に規則的でありながら時々良い意味で期待を裏切ってくれる音楽ということになります。人にとって心地良く聞こえる音楽は高い確率で1/fゆらぎを持っていると言われるのは、そういう理論に基づいているということをここでは知っておいて下さい。
コメント
https://maxima.hatenablog.jp/entry/2020/10/21/214404
にあるグラフのピークを拾えばきれいに零点になり、これを結ぶとほぼ1/tになります。1/tはまさに1/fと関係しているようですね。